最澄は何をした人?ゆかりのお寺をめぐるならおすすめはこの5選!

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最澄は、天台宗の開祖として「比叡山 延暦寺」を開いた高僧です。延暦寺は、京都府と滋賀県にまたがる比叡山に広大な境内を持つ大寺院で、数々の名僧を輩出した“日本仏教の母山”でもあります。

幼い頃から聡明で、12歳で仏門に入ったされる最澄がどのような人生を送って天台宗を開き、「伝教大師(でんぎょうだいし)」として国中に名の知られる僧となったのか。

本記事では、日本の仏教の歴史上多大な功績を残した【最澄の人生を辿るオススメスポット5選】をご紹介します。

最澄とは一体何者なのか?

最澄の一生

最澄は767年(一説には766年)近江の国(現在の滋賀県)に生まれました。12歳で近江国分寺の行表(ぎょうひょう)に弟子入りし、14歳で得度を受けたと言われています。その際、東大寺で「最澄」という名をもらい、19歳のときに正式な僧になりました。それから数年間は、比叡山で修行しつつ願文(がんもん)を記しました。願文とは、修行などをに向けて決意や願いなどを記す文章のことですが、最澄は「仏になるための教えを体解(たいげ)するまで山を下りない」といった強い決意を願文に記しています。

最澄は804年に唐へ遣唐使として渡りました。そこで天台教学のほか、禅の教えや密教の伝法を受け、数か月後に日本に帰国。最澄が帰国した時に、日本では桓武天皇が病に伏せている状況で、最澄が中国から持ち帰った密教が人々から注目されたと言われています。そこで805年に桓武天皇の命で、高雄山寺で奈良の学僧達に日本で初めて密教の儀式のひとつ“潅頂(かんじょう)”を授けました。

また、唐で学んだ天台教学の教えを日本に広めるため新たな宗派の設立を桓武天皇に願い、806年1月26日、最澄が開宗を成し遂げたいと心から願っていた天台宗が開かれました

最澄は日本のさまざまな地方に足を運び、天台宗の教えを広めたのだそう。布教活動の傍ら無料で宿泊できる施設を旅人に提供することもあり、慈愛に満ちていたことも伝わっています。最澄の生涯は、あらゆる人々を救うという『法華経』の説く理想の世界を実現することに捧げられました

そして822年5月、最澄は自分の死が近いことを悟り、弟子に遺言を伝えています。『私のために仏を作ってはなりません。私のために経を写してはなりません。私の志を述べなさい。』
これは「私が死んでも喪に服す必要はない。日本を守るために、これからも毎日お経を読み続けるように」という意味で、仏教の教えを広めるという使命を全うし、目標を達成するまで諦めないという最澄の人柄が表れています。
遺言を残した翌月の6月4日、最澄は56歳でこの世を去りました。

866年、清和天皇から最澄に「伝教大師」の諡号が贈られ、これ以後、最澄は「伝教大師最澄」と称されるようになりました。

ぴっと宮司
ぴっと宮司

大師とは人を教え導く偉大な指導者という意味で、日本ではこれが最初の大師号です。

最澄が開いた天台宗とは

最澄は「すべての人は皆、仏の子である(悉有仏性)」と宣言し、釈尊と同じ悟りに至る教えを解いています。
「すべての人が仏に成れる」と説く『法華経』に基づいて、真実を探し求める心(道心)があれば、日常の生活にも悟りに至る道があるとし、「自分自身が輝く存在となる」ことを目指しています。その輝きが周りも輝かせ、一人一人が輝きあい手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれるという「一隅を照らす運動」を続けています。

ぴっと巫女
ぴっと巫女

自分が置かれた場所や立場でベストを尽くすこと。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という、最澄の精神です。

最澄ゆかりのお寺【おすすめ5選】

天台宗の総本山 延暦寺

最澄は比叡山に一乗止観院を創建し、鎮護国家の根本道場と定めました。これが今日の延暦寺・根本中堂です。比叡山は日本仏教の母山とも言われており、法然・日蓮・親鸞・道元など日本仏教の各宗の祖師がここで学んでいます。

最澄が延暦寺での修行中に、仏の教えが永遠に伝えられますようにと願って灯した灯火は、「不滅の灯明」として1200年を経た今も大切に受け継がれています。

基本情報
住所 〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220
TEL 077-578-0001
URL https://www.hieizan.or.jp/

最澄の産湯に使われたという井戸が残る 生源寺

もともとは最澄の父、三津首百枝の邸宅があった場所で、最澄が両親への報恩のために寺を創建したと伝わっています。

境内には、最澄が産まれた時に使用された産湯の水汲み井戸があります。また、現在では最澄生誕の地として、毎年8月18日には盛大な誕生会が行われています。

基本情報
住所 〒520-0113 滋賀県大津市坂本6丁目1−17
TEL 077-578-0205
URL なし

日本最初の「灌頂」が開かれた 神護寺(高雄山寺)

神護寺の前身となる高雄山寺は、桓武天皇の寵臣・和気清麻呂によって創建され、清麻呂の死後は、二人の息子が高雄山寺を菩提寺として引き継ぎました。

この兄弟は熱心に最澄を支援し、唐から帰国してすぐの最澄によって日本最初と言われる「灌頂」が開かれたのが、この高雄山寺でした。灌頂とは密教の法燈を継承する重要な儀式で、実はこの数年後に最澄は空海より灌頂を受けています。

基本情報
住所 〒616-8292 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5番地
TEL 075-861-1769
URL http://www.jingoji.or.jp/

伝教大師巡錫の聖地 浄法寺

817年から最澄は天台宗を広めるための東国巡錫を始めました。その中で東国布教の拠点として3ヶ月ほど逗留したのが、群馬県最古の寺院である浄法寺です。

境内には東国巡錫の旅姿とされる、金色の最澄の像があります。また、浄法寺の相輪橖は、最澄が護国のために全国6カ所に建立を計画した「六所宝塔」の一つで、最澄の存命中に完成したのは、ここのほか下野国大慈寺のみです。

基本情報
住所 〒370-1406 群馬県藤岡市浄法寺甲1094
TEL 0274-52-4982
URL https://www.tendai.or.jp/tokusyu/back_016.php

教科書に掲載される最澄の肖像画を所蔵する 一乗寺

一乗寺に伝わる国宝の「聖徳太子及び天台高僧像」全10幅のうちの最澄像は、教科書に掲載されることが多いため、最澄の姿と言えば思い浮かべる人も多いでしょう。実物は博物館に預けられているため、一乗寺の宝物館では複製画が展示されています。

創建から1400年以上、日本天台宗の創成期から最澄を祀っている大寺院でもあり、西国三十三所巡礼の札所としても有名です。

基本情報
住所 〒675-2222 兵庫県加西市坂本町821-17
TEL 0790-48-2006
URL https://saikoku33.gr.jp/place/26

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 まとめ

本記事では、日本の仏教の歴史上多大な功績を残した【最澄の人生を辿るオススメスポット5選】をご紹介しましたがいかがでしたか。

信仰と実践によって、一人ひとりが心豊かに暮らせば輝く存在となる。やがては社会全体が明るく輝く。最澄が説いた「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という教えは、現代で言えばSDGsにもつながるように思えます

1200年も前からこのような考えを広めようとしていた最澄は、とてもすごい人だったのですね!

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