日本人の約4割が仏教を信仰しており、現在の仏教に影響を強く与えたのが「平安二宗」です。
平安二宗は聞きなれない言葉ですが、要約すると天台宗と真言宗のこと。
本記事では、【平安二宗と言われている天台宗と真言宗について】解説します。
平安二宗について知識を深めれば、お寺へのお参りや観光がより面白くなること間違いなしです。
仏教をより深く知るために、ぜひご覧ください。
平安二宗の始まり
平安二宗とは、天台宗と真言宗のこと。
この2つが日本に発展するまでの成り立ちを解説します。
仏教が日本に初めて伝わったのは、6世紀の中ごろです。
当時、仏教を受け入れるか排除するかで争いが起きます。
しかし、推古天皇が国家公認の宗教と認め、日本に広まりました。
奈良時代になると南都六宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗)が中国から伝わります。
南都六宗は学問としての仏教を追求していましたが、やがて政治と結びついて強い影響力を持ちました。
784年、南都六宗と政治の距離を取るために、桓武天皇が都を平城京から長岡京へ移動。
その後、794年に都が再び平安京へと移り、平安二宗が開かれたのです。
今も続いている南都六宗は法相宗と華厳宗、律宗だけです。
【平安二宗】天台宗ってどんな宗派?
天台宗の成り立ち
天台宗は隋で生まれた仏教の宗派で、実質的な開祖は天台大師の智顗です。
智顗は釈迦の教えを8つ、経典を5つに分類し、そのうちの法華経をもとにに天台宗を開きました。
天台宗は鑑真が持ち込んだ書物を通じて日本に伝わり、唐で本場の天台宗を学んだ最澄によって広まります。
誰でも仏になれるという一乗思想や南都六宗に批判的な最澄の姿勢は、桓武天皇に高く評価されます。
南都六宗は政治に強い影響力を持っていた宗派だよ。
桓武天皇は南都六宗を政治と切り離したかったから評価されたんだね。
最澄が帰国した翌年の806年、天台宗は国家公認の宗教と認められました。
天台宗の思想
天台宗の思想は、法華経こそ全ての人々を救う究極の経典であるとされています。
そのため天台宗では法華経を最も重視しつつ、円教・密教・禅法・戒律、念仏を法華経のもとにまとめて融合させる「四宗融合」を考えました。
四宗融合の内容はこちら。
- 円:法華経、天台宗の教え
- 密:言葉では現せない物事の真理
- 禅:仏の知恵を理解するための修行法
- 戒:修行の際に守るべきルール
修行では座禅や護摩行を行い、阿弥陀経や般若心経も読むので、天台宗は総合仏教と呼ばれる場合もあります。
護摩行は2種類あります。
- 外護摩:木製の壇に火をともし、護摩木と供物を燃やす
- 内護摩:自分を壇に見立てて煩悩や業を焼き払う
天台宗の開祖:最澄
日本に天台宗を広めた最澄の人生を表にまとめました。
766年 | 近江の国(現在の滋賀県)で生まれる |
778年 | 12歳で出家 |
785年 | 19歳で東大寺の僧侶になるが、「仏になるための教えを理解するまで山を下りない」と誓う文章を残し、比叡山に入る |
797年 | 嵯峨天皇直属の僧侶に任命 |
804年 | 遣唐使の一員として海を渡る 唐の天台山で天台宗や密教、禅を学ぶ |
805年 | 帰国 |
822年 | 永眠 |
866年 | 最澄の功績が評価され、伝教大師の名が贈られる |
最澄は天台宗だけでなく、中国からお茶の種を持ち帰りました。
おいしいお茶を楽しめるのも最澄のおかげですね。
天台宗の総本山:比叡山延暦寺
天台宗の総本山は比叡山延暦寺です。
延暦寺は1つの寺ではなく、比叡山にある約150のお堂をまとめて延暦寺と呼びます。
織田信長による焼き討ちや武装化した僧兵など、日本史の授業では荒々しい印象の延暦寺。
しかし、日蓮宗の日蓮や浄土真宗の親鸞も若い頃に修行するなど、鎌倉仏教につながる重要なお寺です。
比叡山延暦寺は1994年にユネスコ世界遺産に認定されました。
広大な境内は東塔、西塔、横川の3つのエリアに分かれます。
多くの見どころがあるので、1日かけてじっくり参拝できますよ。
【平安二宗】真言宗ってどんな宗派?
真言宗の成り立ち
真言宗は弘法大師:空海によって開かれた、日本仏教の1つです。
804年に遣唐使として留学した空海は、青龍寺の恵果和尚のもとで密教を学びます。
そして帰国後の数年を大宰府や京都のお寺で過ごすと、810年に嵯峨天皇の許しを得て、真言宗の布教を開始します。
816年、空海は高野山を真言宗の修行場とし、天台宗の総本山である金剛峯寺を開きました。
823年に最澄は嵯峨天皇から授かった京都の東寺を道場とし、東寺と高野山を拠点に日本全国に真言宗を広めていきます。
真言宗の思想
真言宗では密教こそが真実の教えだとされており、修行をした人のみ理解ができると言われています。
真言宗の本尊である大日如来は、宇宙の真理そのものの仏で、その教えが密教です。
密教の対義語は顕教で、隠されることなく言葉で伝えられる教えを意味します。
真言宗では、顕教よりも密教を重んじ、大日如来と一体となるために「三密加持」と呼ばれる修行を行っていました。
手で仏の印を結び、口で仏の言葉である真言をとなえ、心に大日如来を念ずる。
そうすることで輪廻転生を繰り返さなくても、生きながら仏になれるのです。
真言宗の開祖:空海
真言宗を開いた空海の人生を表にまとめました。
774年 | 讃岐国で生まれる |
792年 | 18歳で大学に入学 |
805年 | 31歳で遣唐使として留学 |
806年 | 帰国 |
810年 | 真言宗を広める許可が出る |
816年 | 高野山に金剛峯寺を開く |
835年 | 62歳で永眠 |
本来20年あった留学期間を3年で終わらせたとか。
空海の天才ぶりがよく分かります。
また空海は書道や詩、絵画の才能もあり、嵯峨天皇や橘逸勢と並ぶ「三筆」に数えられる書道家でした。
空海が地面を杖で突いて水を出した「弘法水」の伝説を持つ湧き水は日本各地に約1500か所もあるんですよ。
真言宗の総本山:高野山金剛峯寺
真言宗の総本山は、高野山の金剛峯寺です。
山全体が境内である高野山には、117寺のお寺が密集しています。
高野山は権力者に信仰されており、平清盛や北条政子、豊臣秀吉といった偉人が数多く参拝し、境内にお寺を建てました。
そんな歴史の長さと重要さから、高野山は2004年にユネスコ世界遺産に認定されています。
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まとめ
今回は、【平安二宗と言われている天台宗と真言宗について】解説しました。
平安二宗とまとめられる天台宗と真言宗ですが、歴史や思想、修行の方法は異なることが分かりました。
日本仏教は平安二宗だけでなく、奈良時代の南都六宗や鎌倉仏教など数多くの宗派やお寺が存在し、それぞれに特徴や違いがあります。
本記事を読んで「もっと仏教やお寺について知りたい!」と思った人は、ぜひ他の記事も読んでみてくださいね。
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