みなさんは「南都六宗」という宗派をご存知でしょうか?
南都六宗は平安二宗や鎌倉仏教に比べるとあまり知られていませんが、日本の歴史や仏教に大きな影響を与えました。
そこで今回は【奈良時代に伝わった仏教の南都六宗について】解説します。
さらに、南都六宗が時代が進むにつれてどのように変化していったのか、くわしく見ていきましょう。
南都六宗とは
奈良時代に中国から伝わり、平城京で栄えた仏教の宗派をまとめて南都六宗と呼びます。
「南都」とは京都から見て南にある奈良のことで、「六宗」は奈良時代に伝わった6つの宗派のことです。
南都六宗の別名は奈良仏教といい、以下の6つの宗派で構成されています。
- 法相宗
- 三論宗
- 成実宗
- 倶舎宗
- 華厳宗
- 律宗
南都六宗には、修行した者だけが仏になれる、宗教ではなく学問としての仏教を追求するという特徴があります。
南都六宗は他の宗派について学ぶ「兼学」もできました。
特に6つ全ての宗派を学ぶことを六宗兼学と言います。
南都六宗を1つずつ解説していきます。
法相宗
法相宗は中国の僧侶:玄奘三蔵が持ち帰ったインドの唯識論をもとに、弟子:基が開いた宗派です。
唯識論は、「すべての現象は心の働きによって生じる」という仏教の考え方です。
宗派の名前である「法相」も存在のあり方を意味しています。
玄奘と基が唐の皇帝:高宗に信頼されていたことから、法相宗は中国で特別な扱いを受けていました。
玄奘に弟子入りした道昭が日本へ法相宗を伝えると、法相宗は南都六宗の中心的存在となります。
法相宗は南都六宗の中で、2番目に日本に伝わった宗派。
ちなみに1番早く伝わったのは、次に解説する三論宗です。
法相宗 | |
開祖 | 基 |
研究対象 | 唯識論 |
主な寺院 | 興福寺・薬師寺など |
三論宗
三論宗は隋の僧である吉蔵が開いた宗派です。
南都六宗の中では最も日本に早く伝わった宗派で、625年に吉蔵の弟子:慧灌によって日本へ伝えられました。
その後、慧灌の弟子である智蔵と、その弟子:道慈が唐へ渡って学び、さらに三論宗を広めます。
三論宗ではインドの僧である龍樹の中論・十二門論と、提婆の百論を合わせた三論を研究していました。
三論宗は全ての物や現象は存在せず、変わり続けるという考え方を持ち、「空」の思想を持ちます。
このことから、三論宗は空宗とも呼ばれることがありました。
三論宗 | |
開祖 | 吉蔵 |
研究対象 | 中論、十二門論、百論 |
主な寺院 | なし |
成実宗
成実宗は、現在のウイグル自治区に生まれた鳩摩羅什が成実論を中国語に訳して成立しました。
この宗派は、百済の道蔵をはじめとする海外の僧侶によって日本に伝えられましたが、独立した宗派とはなりませんでした。
成実宗が研究する成実論は、主に四諦についての論です。
四諦とは以下の4つを指します。
・苦諦…人生は苦である
・集諦…苦の原因は煩悩である
・滅諦…煩悩をなくせば苦もなくなる
・道諦…修行をすれば悟りは開ける
成実宗は平安時代になると三論宗に付属する宗派となり、しだいに研究する僧侶の数も減っていきました。
成実宗 | |
開祖 | 鳩摩羅什 |
研究対象 | 成実論 |
主な寺院 | なし |
倶舎宗
倶舎宗は阿毘達磨倶舎論や、その解説書を研究している宗派で、唐へ留学していた道昭が日本に伝えます。
玄奘三蔵がインドにあったさまざまな仏教書を中国語に訳すと、日本では倶舎論の研究が始まりました。
「倶舎」とは入れ物や宝物庫のことで、阿毘達磨倶舎論には仏教の教えが記されていました。
倶舎論の内容は、因果応報をメインとしています。
因果応報とは、全ては直接的な原因と間接的な原因から、現在の結果が生まれるという考えです。
倶舎宗 | |
開祖 | 道昭 |
研究対象 | 阿毘達磨倶舎論など |
主な寺院 | なし |
華厳宗
華厳宗は中国の杜順によって開かれた宗派です。
東大寺の僧:良弁に招かれた審祥が736年に日本に伝えました。
華厳宗は貴族層に人気で、信仰したいた聖武天皇が国分寺と国分尼寺を建てたり、奈良の大仏を建造したりしています。
この宗派では人間のいる世界を「事方界」、仏の世界を「理方界」と言います。
2つが共存する世界が「理事無礙法界」で、物事だけがある世界が「事々無礙法界」です。
華厳経学では、この4つがお互いに重なり合い、関係しあうと考えられています。
華厳宗 | |
開祖 | 杜順 |
研究対象 | 華厳経学 |
主な寺院 | 東大寺 |
律宗
律宗は唐の時代に中国の道宣が成立させ、6回目の航海で唐からたどりついた鑑真が日本に広めます。
後に鑑真は聖武上皇や称徳天皇に戒律を授け、唐招提寺で戒律の研究を行います。
律宗は僧侶が守るべきルールである戒律を研究し、三聚浄戒という戒律を重視していました。
三聚浄戒の意味は以下の通りです。
・摂律儀…戒を守って悪を防ぐ
・摂善法…進んで良いことをする
・摂衆生…人々を教え導く
律宗では、上記の戒律を守ることで仏になれると考えています。
律宗 | |
開祖 | 道宣 |
研究対象 | 戒律 |
主な寺院 | 唐招提寺、壬生寺 |
現在に残る南都六宗は3つ
現在まで宗派として残っているのは、華厳宗・法相宗・律宗の3つのみです。
奈良時代の南都六宗は宗派や学問だけではなく、政治に対して強い影響力を持っていました。
強い力を持つ南都六宗に悩んでいた桓武天皇は長岡京に都を移し、寺院の移動を禁止します。
その後、都は北の平安京へ移り、寺院と都の距離が遠くなりました。
南都六宗の仏教は庶民には難しいだけでなく、彼らを救う教えではありません。
そのため、南都六宗は少しずつ衰えていき、三論宗・成実宗・倶舎宗が消滅することになったのです。
新しい仏教である天台宗が力を付けることを南都六宗は警戒し、開祖の最澄を激しく批判します。
一方、真言宗の空海は南都六宗を受け入れ、真言宗を開きました。
まとめ
今回は【奈良時代に伝わった仏教の南都六宗について】を解説しました。
南都六宗は学問や哲学として仏教を研究しており、さまざまな思想がありました。
時代や環境によって、南都六宗の数は減少し、現在に残る宗派は3つです。
難しい思想の南都六宗ですが、少しでも知識があれば、寺院へのお参りをより深く楽しめるでしょう。
ぜひ本記事を参考に、南都六宗を信仰する寺院に足を運んでみてくださいね。
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